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良寛の母

良寛の母は佐渡相川町の商人山本庄兵衛の長女秀子(おのぶ)で、17才の時出雲崎名主橘屋に後継がなかったので、養女として迎えられ、20才で以南と結婚しました。

相川の大間に、良寛の母の生家跡碑
良寛自筆の歌が銅板にはめ込まれています。
 
「垂乳根の母が形見と朝夕に 佐渡の島辺を打ち見つるかも」



良寛詩碑「中元歌」

この24句から成る長詩篇の主題は、父の亡魂を供養し救済することを歌ったものですが、国上山の五合庵に落ち着いた40歳代のころ、父母を追悼した悲傷の詩で 佐渡には二人の妹がいたことがこれをよむと分かります。

母の没後220年ですが、良寛は、父母や佐渡を限りなく慕っていたそうです。