初代佐渡奉行 大久保長安
大久保長安は、初代佐渡奉行で金山が発見されゴールドラッシュにわきあがる相川の街づくりに貢献した人物です。長安は、佐渡金山だけでなく、石見、伊豆の金銀山を抱えており、幕府の財政の現場監督でしたので、当時は、家康に次いで事実上のナンバー2であったという人もいます。
長安は、佐渡金山の産金が今後益々多くなるということを自ら確認すると、直ちにその旨を家康に伝え、相川を鉱山都市として整備することにしました。しかし、佐渡金山は、非常に湧水の多いところで、その対策に苦労したそうです。
長安の不正については様々な資料から確認ができますが、関が原の戦い以後、江戸の街づくりにおいての功績は大きく、また、家康自身、長安が中風に倒れた際見舞いをしているので、生前はそれほど大きな問題にはならなかったようです。
しかし、死後その不正を大きく取り上げられ、一族、家来には厳しい処罰が与えられることになりました。