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佐渡金山
佐渡金山の発見以前の相川町は、わずか5〜6軒の小さな村だったそうです。

しかし、金山が発見されるとその周辺に10以上の町が出来、その中で金を管理する役人が住んでいた町を相川町と言ったそうです。

1601年に大鉱脈が発見されると、たちまちゴールドラッシュになり、1603年鶴子にあった陣屋を相川に移転したのが「佐渡奉行所」です。石見の国から大久保長安が初代奉行として招かれ、相川の町作りに大きく貢献しました。

鉱山労働者だけでなく様々な職人、商人が訪れ、一時は僅か2キロ四方に5万とも10万ともいわれる人が住んだと言われています。

坑内に入ると、夏でもひんやりと涼しくなります。金山の坑道跡を利用して、数多くの人形を動かして見せていますが、あまりにリアルなため、驚く人が多いそうです。